事業計画/事業社会性の検討

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その事業の成功は世界的にみて善であるか?

その事業を成功させるのが常に善であるか、ということは忘れてはならない 課題である。

例えば武器商売で成功したとしても、その為に多くの命が奪われるかも しれない。失われた命の価値を計測し、それらが武器商売による利潤より小さい、 と誰が評価できるだろうか? それは命の価値は地球よりも重い、という諺を待つまでも無く、 ある人一人の命が奪われなかったら、人類が得ることが出来たかもしれない価値は誰も査定できないのだ。大戦争が起きれば何百万人という人の命が奪われる。その損失の大きさは誰も計算できないし、計算しようとする人もいない。そのような損得勘定ができないときに、自己の事業の利潤計算 をするなど馬鹿げた行為なのだ。

無目的の大企業もある

当初はある目的で活動していた企業が時代の変化でその目的があるときから無意味になり、 他の活動に切り替えることもある。

こういう場合、その企業の目的は。株主や社員のために売り上げを続けることだといえる。 マスコミなどに、なぜその新しい事業をはじめたのか、と聞かれて、今までの製造技術が その新しい事業における生産に役立つと考えたから、と答えることが多い。

そうかもしれないが、技術中心で企業目的を考えるとしたら、ますます社会的なその企業の価値は善であるかどうか怪しくなる。

大勢を雇う企業と少数しか雇わない企業

どちらの企業(製造業とする)のほうが望ましいか? 前者をAタイプとし後者をBタイプとする。製品の量と質は同じで使う原料の質も量も同じとする。まず企業間で競争すると、少数の社員が極端な高給取りで無い限り、また製造の装置が高価格過ぎない限り、Bタイプの企業が勝つだろう。

しかしBタイプの方が常に望ましいかというと、他にもいろいろ考慮しなければいけないことがある。

Aタイプの企業から放り出された社員の行く末はあるのか、という問題である。

もし無いのであれば社会不安が起きたり、戦争が起きたりしやすい。また非効率だが多数を雇用でき、政治力の強い集団が生み出されたりしやすい。そのような集団は若者に敬遠されて、国全体の活力を奪うかもしれない。

生産力を高める。というのは必ずしも世の中の至上命題ではない。ほどほどの社会の非効率はこれからの社会では許されるだろう。

ほどほどのBタイプ企業と、ほどほどの非生産層が共存できる社会が、これからは望ましいのではないだろうか?

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