芸術/魂の音楽

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芸術魂の音楽

目次

魂(たましい)の音楽

本章ではこの表題の下に、抑圧された人々がその境遇に負けずに生み出した世界の優れた音楽を取り上げ紹介したい。

ゴスペル

まず挙げられるのは南北アメリカ大陸で歴史上抑圧された人々が生み出した音楽である。アフリカ大陸から奴隷として渡ってきた人々は過酷な労働や精神的苦痛を強いられた。彼らは聖歌であるゴスペルを、アフリカの母国のリズムでアレンジし、優れたゴスペルソングを生み出した。こうしてアフリカ特有の跳躍するリズム、ブルー・ノート・スケールや口承の伝統などとヨーロッパ賛美歌などの音楽的・詩的感性が融合してスピリチュアル(黒人霊歌 negro spiritual などとも言う)という現在のゴスペルの基調となる音楽が生まれた。後年になってジャズやロックなど様々なジャンルと結びついてその音楽性は今も進化し続けている。

ジャズ

次に現代音楽の重要なジャンルであるジャズは、西洋音楽とアフリカ音楽の組み合わせにより発展した音楽である。

カリプソ

また中米ではトリニダード・トバゴのカリプソ(Calypso)がある。有名な楽器としてドラム缶から手製で作られたスチールパンがある。民族的には黒人やインド人、中国人などがスペイン、イギリス、オランダ、フランスなどの植民地の宗主国のもとで抑圧され、音楽の演奏さへ禁じられる中で、彼ら特有の優れた音楽を生み出したのである。

ルンバ

同じ中米の音楽でキューバのルンバがある。 やはりアフリカ系住民から生まれたラテン音楽である。

タンゴ

またラテン音楽、というジャンルもある。これはより広いアメリカ大陸の音楽特にスペイン系の音楽をさす。中には南アメリカ先住民族の音楽が混じった物も存在する。 タンゴは今から約130年前に、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスの港町ラ・ボカ地区から始まったとされる。ただ、その前から、アフリカ系アルゼンチン人のコミュニティーで、「タンゴ」 と称する音楽がはやっていた。アルゼンチンタンゴ・ダンスはスペインやイタリアからの貧しい移民のフラストレーションのはけ口として、ボカ地区の酒場で生まれた踊りといわれる。日頃の不満を歌にし、最初は単身赴任の男性達が酒場で荒々しく男性同士で踊ったとも、娼婦を相手に踊られるようになったともいわれる。

サンバ

南米のポルトガル語圏ブラジルの音楽にサンバ(Samba)がある。4分の2拍子のダンス音楽で、19世紀の終わりごろ、ブラジル北東部の港町、バイーア(現在のサルバドール)で発祥したとの説が有力である。当時のバイーアは、奴隷貿易によってアフリカから連れて来られた黒人が上陸した場所である。その後、リオ・デ・ジャネイロ(以下リオ)において、バイーアから移住したアフリカ系黒人の奴隷労働者たちが持ち込んだ、Batucada(バトゥカーダ、打楽器のみの構成によるサンバ)などの音楽をもとに、ショーロやルンドゥーなどの要素がとりこまれ成立し、ブラジルを代表する音楽ジャンルとなった。

フラメンコ

ヨーロッパの魂の音楽を挙げるなら、スペインのフラメンコがある。フラメンコの歴史と発展にはヒターノ(スペインジプシー)が重要な役割を果たしている。さらにさかのぼると、ムーア人の影響もみられる。

ヨーロッパではロマ(ジプシー)の人々は厳しい迫害を受けた。16世紀にはロマを殺しても基本的には罪に問われないこととなった。ロマが放浪する犯罪者の温床と考えられ、都市では彼らが現れたら教会の鐘を鳴らして合図し排撃した。

フラメンコは主にスペインジプシーによって作られたと言われるが、他の国でもジプシーは優れた音楽を生み出している。ロマ音楽は、現地の文化と相関関係にあり、歴史的に大きな貢献をしている。ロマン派の作曲家の中にはロマ音楽に触発されて曲を書いたものもいた。リストの「ハンガリー狂詩曲」、ブラームスの「ハンガリー舞曲」(発表当時は編曲とされ、またハンガリー古来の音楽と混同された)、サラサーテの「ツィゴイネルワイゼン」などである。

ベリーダンス

トルコのベリーダンスもロマの音楽であると言われる。エジプト起源の面もある。

クレズマー

ユダヤ人は、ロマと並んでヨーロッパの国々で少数民族として迫害されてきた。彼らが生み出した優れた音楽がある。東欧においては時にロマの音楽と思われることもあるが、クレズマー(Klezmer)という音楽である。

ドラヴィダ系民族音楽

ロマはインド大陸の北部から出たと言われる。特にインドのドラヴィダ系の民族だったろうと言われる。

そう考えるとインドのドラヴィダ系の民族こそ歴史上抑圧された民族である。インダス文明を築いたのはまさにドラヴィダ族であったろうと言われている。それほど優れた民族であったにも拘わらず、アーリア系の民族に前1500年頃に征服され、それ以来カースト制なる身分制度を作られ、ドラヴィダ族は下の身分に置かれてきた。 そして近代においては大英帝国の植民地となり、英国の支配下で搾取されてきた。 ドラヴィダ族は文化的にも遺伝的にもより純粋な形を、インド北部より南部に留めているようである。特にタミル・ナードゥ州に顕著である。そこでは言語もドラヴィダ系のものが残っており、アーリア系の言語であるサンスクリット語の標準語化に抵抗している。そしてタミール音楽というものは、彼らの民俗音楽であるが、大変優れ、聞くものの魂をゆするものになっている。


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