世界取引事情/何を国の産品とするか?

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対環境サステナビリティ > 何を国の産品とするか?

概要

一国の輸出が盛んに出来るその国の産品は時代と共に変化することが多い。

例えば、第二次大戦以前の日本では、国内で養蚕が盛んであり、繭から生糸をとり、 アメリカを中心におおいに輸出していた。

ところが、アメリカと戦争することになり、 売ることができなくなってしまった。 

生糸の生産者たちは、アメリカの婦人たちは 強いから、「絹が手に入らないなら日本との戦争をやめろ」と叫ぶだろう、と楽観的であった。

するとアメリカは日本に降参するだろう、と考えたのである。

ところがアメリカ人は、絹が手に入らなくなったとき、ナイロンという合成繊維を発明して、 絹が輸入できなくても少しも困らなかったし、ソックスを履くより戦争に勝つ方が大切であることを アメリカ婦人たちは十分に分かっていたのである。

というわけで、絹という日本の重要だった輸出品の生産量はそれ以後、衰えてしまった。


他の国の例もある。 ソ連を中心とする社会主義圏が元気がよかった時代(1945-1980頃)ポーランドは 自動車の輸出国であった。

http://japoland.pl/blog/%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E3%81%AE%E8%87%AA%E5%8B%95%E8%BB%8A%E4%BA%8B%E6%83%85/

JAPOLAND

しかし、社会主義国家では経営の競争が厳しくなかった(自由主義圏に比べて)せいか、品質は良くなかった。

ソ連崩壊間近の頃、ポーランドへ行くと道端に走行中に故障し乗り捨てられえた車がたくさん 並んでいたものである(著者中村の見聞)。

イギリスは産業革命を興した国であり、その象徴的産品である蒸気機関車を世界で初めて開発し、

明治期文明開化時の日本もイギリスから機関車を輸入した。

「日本の鉄道は1872年(明治5年)に開業したが、この時、投入された車両は1号機関車などすべてイギリス製の車両であった。」

しかし急速にイギリスの商売敵があらわれ、続いて明治期の日本が北海道に輸入した弁慶号や義経号は アメリカ製であった。

国策による産業振興の限界

国の産業、と言って構えた場合、起業はなかなか難しい。 国民の大多数がその産業に 携われるほどの販売先を確保するのは容易でない。 フランスのワインの場合、 確かにその販売先は世界であるが、競争相手も次々と現れ、覇を競っている。

日本のアニメ文化のようなものが、参考になるだろう。別に国は振興したわけでもないのに、 サウジの王子が来日した折、有名な日本の作家に会いたがった、というニュースは象徴的である。

産経ニュース 国際 2016.3.19 07:00  「サウジ王子30歳は「頭脳明晰」「日本アニメファン」 赤字10兆国家を“脱石油”で立て直す野望」

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