会社法・企業倫理/企業哲学

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概要

企業哲学とは,基本的にはその企業の経営者が「経営とは"こういうこと"だ」という思想をもつ,という考えである. 例えば「その企業が存続する意味(理念)」といったことを真正面から捉える姿勢,などが挙げられる [w1]. これらのことを一言で表すならば「経営観」という言葉がふさわしいかも知れない.

企業の経営者によっては,「社員から搾取して,自分(経営者)だけが儲かれば良い」という考えの人もいれば, 「如何に社員により良い人生を歩んでもらうか」ということを考えている人もいる. 前者のような経営者は,「社員に向けて言う哲学」と,「本当に思っている哲学」は(相反した)違ったものになっている場合が多い.

例えば「企業が存続する意味」を視座とした場合,存続する基盤としての社会システム(政体・法・倫理)を無視して議論することは無意味であろう. また,使役という観点から労働者への責任を果たす義務があるし,株式会社であれば投資した大勢の人たちへの責任を果たす義務がある. 製品を購入した消費者に対しては,品質保証やサポートなど様々な責任を果たす義務がある. 規模の大小を問わず,企業が実行するあらゆる活動には,これらの利害関係者(労働者,投資家,消費者,及び社会全体)との間での 様々な責任が存在し,全てについて説明することによって社会的な容認(その企業は社会で存在して良い)が得られるのである.

企業の社会的責任

あらゆる企業にとって,社会的責任(Corporate Social Responsibility, CSR)は,自らの役割を徹底的に検討し,目標を設定し,成果を挙げるべき重大な問題である.

企業の社会的責任とは,「企業が利益を追求するだけでなく,組織活動が社会へ与える影響に責任をもち,あらゆる利害関係者(投資家,消費者,及び社会全体)からの要求に対して,適切な意思決定をすること」を指す [w2]. 企業の経済活動には利害関係者に対して説明責任があり,説明できなければ社会的容認が得られず,信頼のない企業は持続できない.持続可能な社会を目指すためには,企業の意思決定を判断する利害関係者側である「消費者の社会的責任」と「市民の社会的責任」の双方が必要不可欠である [w2]

図1 キャロルのCSRピラミッド
出所:Archie B. Carroll (1991) Pyramid of Corporate Social Responsibility, Business Horizons

投資家を含め,利害関係者は自身の利益にかなう行為を企業に求めてくる.しかし, 企業を取り巻く利害関係者の間には利害のトレードオフがある.それに対して「企業はいかに,どこまで対応すべきか」について考察した事例は大変多い [r1]

図1に,アーチー・キャロルが提唱するCSRピラミッドを示す [r2]. これは,社会的責任を「経済的責任」「法的責任」「倫理的責任」「社会貢献責任」の4つにグループ分けした提唱である. キャロルの考察によると,企業の責任とは社会基盤の上に建つものとして,下側から順に「経済的な責任」「法的な責任」「倫理的な責任」が負わされ,一番上側が「社会貢献的な責任」となっている. 最も重要なピラミッドの基底部に「経済的責任」を置き,これがその他3つの責任と強い緊張関係にあるとする.利害関係者は4つの責任すべてに(均等に)関心があるわけではなく,利害関係者によって各々関心事は異なり優先度が違うとした.一方で,「社会貢献的な責任」は "おまけ" であるとも述べている [r1]

倫理的なふるまい

企業の倫理的責任と社会貢献に関する考察について,特に企業が「どこまで社会的責任を負うべきか」という点について, 伊藤は次の3点によって総括している [r1]

  1. 経済的責任と法的責任に異論はない
  2. 倫理的責任自体に異論はないが,どこまで対応するかに差がある
  3. 社会貢献責任には否定から消極的肯定,さらには積極的肯定までさまざまである

まず企業は,経済的責任と法的責任を果たすべきである.いまだ企業は違法行為を繰り返している. 上記のCSRピラミッドにあるように,経済的責任と法的責任は企業の社会的責任の基本である. それに引き続いて,倫理的責任を遂行するべきである.

企業活動が社会で争点となるのは,経済的責任や法的責任よりむしろ,倫理的責任である. ある意味,倫理的責任は社会的な要請である.この社会的要請は,時と場所や状況によって変化する. 企業はそれを常に監視し,利害関係者とのトレードオフを勘案し,無視することも含めてどう対応すべきか,考察し続けていく必要がある.

企業の経営者としての人間に特有の問題は,彼らが集団的に見た時,リーダー的な地位にあるという事実から派生してくる [r3]. リーダー的地位にあるグループの一員であるということは,本質的にはプロフェッショナルである,ということである. プロフェッショナルの責任は,既に 2,500年前,ギリシャの名医ヒポクラテスの誓いの中にはっきりと表現されている.すなわち「知りながら害を為すな」である [w3]

コンプライアンスとの違い

「企業倫理」とよく似た言葉に,「コンプライアンス」というものがある. 「企業倫理・コンプライアンス」というように同立の二つのものとして扱われることがあるが,その意味をよく考えた場合,この二つは同一のものではない.

企業倫理とは,「一般市民が必ずしも守っていないことであっても,社会を構成する企業としては守らなくてはいけない決まり」として,各企業が独自に定められたものを指している. さらに積極的に社会貢献のために行う活動のことをも含んでおり,その概念・取り扱う範囲は広い.

他方,コンプライアンスは法律の順守をするという意味から次第に広がっていった(狭い)概念である. かつて「コンプライアンス」という言葉に含まれていたのは「企業による法律遵守」という意味のみであり,企業活動を適法な範囲内で行うことの必要性を示すものとして使われてきた. 現在においては「コンプライアンス」の意味としては適法な企業活動を行うことは当然の前提としており,社内規範・内部統制や企業倫理までもが含まれるようになっている.

コンプライアンスで問われているのは外見的な適法性の度合い(蓋然性)ではなく,その企業で働く内部の人が社会常識に照らしあわせて常識的な範囲内で行動をしているか否か,ということである.コンプライアンスは守って当然のことができているか否かという「減点評価を免れる」ために行う活動であるのに対して,企業倫理とは「企業として社会的責任を果たしているか加点評価を受ける」ために行う活動とも言える [r4]

もともと英語における「コンプライアンス」の意味には「要求・期待に応える」という意味が含まれている. 企業は経営を行う経営陣や,出資を行う株主・投資者が優先的に扱われるものという概念から抜け出し、その製品・サービスを利用する一般市民の生命・財産を守るべきであるという考え方がようやく最近できてきた.

コンプライアンスに違反することをコンプライアンス違反と呼び,コンプライアンス違反をした企業は、損害賠償訴訟(取締役の責任については株主代表訴訟)などによる法的責任や,信用失墜により売上低下などの社会的責任を負わなければならない. 企業の犯す企業犯罪の1つでもあり,発覚した場合は不祥事として報道されることが多い[w4]

求められる新たな経営観

先進国のIT市場での事業戦略,方向性など種々の考察によって,今や消費者・ユーザと企業との価値共創 (co-creation) を行うことで新たな市場を開拓する枠組み,いわゆる「co-innovation (コ・イノベーション)」は,今後の求められる新たな経営観の一つとなろう [r5]

価値共創は,CRM (Customer Relationship Management) や顧客満足,ビッグデータ,新興国市場開拓などの延長線上にあり,目標・考え方は同一である. 企業は顧客との接点を見出し,顧客を巻き込みながら,イノベーションを創りだす.そして新たな市場(ネクストマーケット)を創る.

IT技術によって駆動された企業行動の結果として「ソーシャルメディア,オープンイノベーション、BOP(Bottom Of Pyramid)市場」が出現した. 全ての企業は,これまでの大量生産・大量消費,薄利多売,低賃金・搾取労働環境など,典型的な(古典的)企業行動から脱却しなければならない.

今後の経営観,マーケティングの重要なキーワードを以下に列挙する.

  • 「企業中心のサプライチェーン」から「消費者中心の経験ネットワーク」へ
  • 「Segment of One(市場独占)」から「Experience of One(経験独占)」へ
  • 「売り場としての市場」から「フォーラムとしての市場」へ
  • 「CRM」から「co-creation」へ
  • 「企業と製品をベースにした価値創造」から「個々の消費者と経験をベースにした価値創造」へ
  • 「価値の競争」から「価値の共創」へ

参考文献

関連項目

外部リンク

演習課題

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