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目次

感嘆詞・調子・生命のリズム

人間が最初に発する文章

 最も単純で、人間が最初に発する文章は何だろうか? それは生まれたときに発する「おぎゃあ」という泣き声ではないだろうか? 泣き声は文章とは言えない、という意見もあるだろうが、感嘆詞というのは一語でも文である。そして泣き声と「ああ」といった感動詞の間は限りなく近いように思える。

 文章の目的とは何かをこれから考えたいのであるが、人間が最初に発する泣き声が文章であるとするなら、その目的は何であろうか?    赤ちゃんの生まれた少し後になっての泣き声は、「お腹がすいた」とか「オムツを換えて」といったメッセージを親に伝える通信手段、という見方もできる。  しかし最初の「おぎゃあ」は「自分が生まれたよ」ということを大人に知らせるメッセージというよりは、最初の呼吸という意味と合わせた、宇宙の一部として自己が存在し始めたことを証明しようとしているのかもしれない。

 ここで文章とは何かについて外形的な判断を記すと、書かれた文だけが文章ではなく、話し言葉や歌手の歌唱も文章の一種であると考える。書かれた文を使うようになったのは、歴史的には一部の民族から比較最近にはじまったにすぎない。多くの民族は何万年もの間話言葉や歌声しか持っていなかった。

 しかしそういう歴史は現代の文章に重要な影響を与えている。例えば長い文章への句読点の入れ方は、文章を声に出して読んだとき、息継ぎが楽で、かつ聞いているものが心地よいようにする。

 よい文章の条件のひとつとして、読み上げたときに心地よく聞ける、ということがある(しかしこの条件は文章の目的によっては無視される。正確さが最重要である論文の文章などがそうである)。

 世界各国の詩には「韻」というものがある。「頭韻」とか「脚韻」といったものがある。

 あるいは日本語の俳句などのように、5,7,5といったいわゆる調子も時に重要である。

 これらは文章に心地よいリズムを齎すものである。それらのリズムは人間の生命に関連する波動に共鳴するものであろう。

 人に訴えるような文章を作成するときは、そのようなリズムを意識することも重要である。

模範文

与謝野晶子作

君死にたまふことなかれ(青空文庫

(旅順の攻囲軍にある弟宗七を歎きて)

ああ、弟よ、君を泣く、
君死にたまふことなかれ。
末(すゑ)に生れし君なれば
親のなさけは勝(まさ)りしも、
親は刄(やいば)をにぎらせて
人を殺せと教へしや、
人を殺して死ねよとて
廿四(にじふし)までを育てしや。

堺(さかい)の街のあきびとの
老舗(しにせ)を誇るあるじにて、
親の名を継ぐ君なれば、
君死にたまふことなかれ。
旅順の城はほろぶとも、
ほろびずとても、何事(なにごと)ぞ、
君は知らじな、あきびとの
家(いへ)の習ひに無きことを。

君死にたまふことなかれ。
すめらみことは、戦ひに
おほみづからは出(い)でまさね[#「まさね」は底本では「ませね」]、
互(かたみ)に人の血を流し、
獣(けもの)の道(みち)に死ねよとは、
死ぬるを人の誉(ほま)れとは、
おほみこころの深ければ、
もとより如何(いか)で思(おぼ)されん。

ああ、弟よ、戦ひに
君死にたまふことなかれ。
過ぎにし秋を父君(ちゝぎみ)に
おくれたまへる母君(はゝぎみ)は、
歎きのなかに、いたましく、
我子(わがこ)を召(め)され、家(いへ)を守(も)り、
安(やす)しと聞ける大御代(おほみよ)も
母の白髪(しらが)は増さりゆく。

暖簾(のれん)のかげに伏して泣く
あえかに若き新妻(にひづま)を
君忘るるや、思へるや。
十月(とつき)も添はで別れたる
少女(をとめ)ごころを思ひみよ。
この世ひとりの君ならで
ああまた誰(たれ)を頼むべき。
君死にたまふことなかれ。

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